2010年3月14日日曜日
ちはやふる 7 / 末次由紀
この大会は暑さとの戦い
ここでは窓も開けないし
エアコンどころか換気扇も動かない
おかげで超暑い!!
”音”が大事だから
というほどに物凄い大会
「名人位・クイーン位挑戦者決定東日本予選大会」始まります。
という「ちはやふる」第7巻。
徹頭徹尾ちはやメイン本です。
天才少女と、元クイーンと、戦いますよ。
ここから高校レベルを超えたハイレベルが舞台の物語になってしまうのか?
寂しいような嬉しいような。
どっちも好きですが。
「私
かるたが好きだ
好きだ」
ちはやふる 6 / 末次由紀
瑞沢高校かるた部
キャプテンを差し置いて
4人が決勝進出!
という「ちはやふる」第6巻。
毎日練習している仲間との対戦@決勝戦。
駆け引きが、思いが、熱い。
お腹一杯です。
観戦しているちはやと一緒に読んでいる方も、ものすごく力が入ります。
「団体戦がしたいね
みんなでまた
チームになりたいね」
チーム
わたしの大事な――
そして新の復活。以下続刊!!
ちはやふるは、単行本の引きがすごーく上手いと思う。
早く次の巻を読ませろーーーー!!と思う。
ところで、袴を履くと立ち居振る舞いが変わります。
引き締まります。
きちっと動かないと、崩れやすかったり裾が邪魔になったりするというのもありますが
やはり気持ちが変わるのですよね。
われら日本人ですもの。
ちはやふる 5 / 末次由紀
ああもっと
自由になりたい
競技線のなかで
身体がこわばるほど強い相手を前にしても
自由に
自由に
自由に
うまくいえないけど
強いってそういうこと・・・・・・?
クイーンと対戦。「ちはやふる」第5巻。
ここがちはやのターニングポイントです。
きっと「ちはやふる」のターニングポイントなのだと思います。
「原田先生
おれにもできるかな。
負けながら 泣きながら
前に進むことが。
新に 向かっていくことが」
「離されるな
ついていけ
ライバルだ
ライバルなんだ」
「かるた部は
私にとっては文化部です。
身体ひとつで男女一緒に戦えるのは文化だからです。
負けませんよ 机くん」
「『かるたなんて』って言って
通り過ぎないで良かった
変わっていける
きっと
身体だけじゃなくて
心だけじゃなくて」
太一が、肉まんが、かなちゃんが、机くんが
それぞれの決意を、思いを確かめるシーンが好きです。
ここにいる理由。
ここでがんばる理由。
がんばりたいと思う気持ち。そういうことを。
ちはやふる 4 / 末次由紀
ちはやふる 3 / 末次由紀
新
私にも仲間が出来たよ
ひとりじゃないよ
新からもらったものが広がっていくよ
という「ちはやふる」、表紙も燃える第3巻。
「でも俺は
仲間にするなら
かるたの”天才”より
畳の上で努力し続けられるやつがいい」
と言って、部員が揃います。熱い。
5人中2人初心者っていうのも成長するぞ!って感じで好きですよ。
そして全国大会の予選が始まり、
チームになれていなかったり、プレッシャーというものを知ったりする面々。
個人戦で戦ってるとき
1枚はただの1枚だった
いまは―――
いまは チームの1枚を取りに行く
「気がついてましたか?
ここにいる人たちの足の甲
みんな皮膚が固くなってタコになってる。
畳の上で何年も正座してきた足です。
私たちがなかなか勝てないの当然じゃないですか
タコが出来るまでがんばりましょうよ」
ああ師匠 もっと
練習してれば良かったよ
勝ちたいよ
勝ちたいよ
こういうセリフ回しがいちいち泣けます。
桜木花道にしても、小野田坂道にしても、優れたスポーツマンガは成長の過程がきちんと描かれているのでカタルシスがある。
修行しました強くなりましたじゃ説得力に掛けるというもの。
ちはやふる 2 / 末次由紀
カルタの大会は実は過酷だ。
多いときは朝から夜まで7試合やってやっと優勝者が決まる。
50枚の配置を覚えて忘れて覚えて忘れて
脳が糖分を消費しつくして
体重が3キロ減る。
ちはやは新・太一との別れを経て高校生に。
モデル級のルックスとカルタ馬鹿で「無駄美人」として名を馳せていた・・・!
というちはやふる2巻。
かるた部結成。ちはやがバカ可愛すぎる。
「”青春全部掛けたって強くなれない”?
まつげくん
掛けてから言いなさい」
「一緒に強くなろう
仲間がいたら強くなれるから」
「新はかならず戻ってくるから
おれたちは 日本一のかるた部作ろう
強くなってあいつを待とう」
こんなセリフが溢れかえっているマンガを文化部マンガと呼べるわけがない。
その熱に焦がされる。
ちはやふる 1 / 末次由紀
2010年3月12日金曜日
日本辺境論 / 内田樹
もっとも尊敬する人と聞かれると内田樹先生と答えたい。
この人の言う事にはいちいち頷いてしまうような説得力があります。
「世の中の人はみんなこう思っているけど、実はこういう事なんだよ」
ということをたくさん教えてくれるので好きなのです。
と、いうわけで「日本辺境論」。
日本という国の文化性や国民性を、地理的な「辺境」に位置していることから説明しようという本です。
地理的に辺境に位置していた日本は、
古くは中国に倣い、後には欧米列強に倣い、「世界標準」にキャッチアップすることを目指してきたので
自分たちが世界標準になろうとは「考えることができない」のだというお話です。
自分たちの国はこういう国なんだよ!
ということを語ろうとすると、「他国との比較」によってしか語ることが出来ない。
内田樹はそれが悪いことだとは言わない。
「こうなったらとことん辺境で行こうではないか」と言っています。
それこそがこの国の、他にマネの出来ないアイデンティティなのではないかと。
で、「辺境人の『学び』は効率がいい」とか、
表意文字(漢字)と表音文字(かな)のハイブリッド言語である日本語こそが
「余人を以ては代え難い」日本人の個性であるとか
そんなお話をたくさんしてくれます。
日本でマンガが特異的に発展しているのが
日本語によるものだっていうお話が面白かったですね
(先生自身、他の人の受け売りを話しているコトですが)。
ふきだしと絵柄を並列処理するマンガは、漢字とひらがなを並列に読める日本語だからこその表現だと。
内田樹が何度もいろんなところで書いていることを一文抜粋しておきたい。
>「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」のことです。
>自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明出来ないにもかかわらず確信出来る力のことです。
>もし、「いいこと」の一覧表を示されなければ学ぶ気が起こらない、報酬の確証が与えられなければ学ぶ気が起こらないという子どもがいたら、その子どもにおいてはこの「先駆的に知る力」は衰微しているということになります。
「これを勉強したら将来お金が儲かるの?」
とか聞いてたら何にも出来ない大人になっちゃうよと、そう言っているのですね。
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